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100周年「わたしと桂馬」フォトメッセージ




福光雄司様



今よりさかのぼること60年前の頃、わたしの祖父は食糧営団(戦後からの10年ばかりは米・麦等々の穀類は統制品として市場に出ていた)の要職に有り正月の参賀日は輩下の人達が我が家に参集して新賀の宴を催すのが習わしであった。
その為祖母や母は数日前から練炭でカズノコや煮豆の正月料理を造り多くの客を持て成していた。刺身や生物(ナマモノ)は冬場とは云えども品質上問題があるため敬遠して、もっぱらカマボコやチクワの様な練り製品が食膳を飾っていた。 呉の周辺(私の実家辺り)ではその類の物は見当らず、母の実家がある尾道迄買い出しに行かなくてはならなかった。 今でこそ、電話一本で宅配等で簡易に購入出来るが、当時はそうしたシステムも無く桂馬の店頭まで足を運ぶことしか考えが及ばなかった。
そうした使い手として声が掛ったのが当時10才の小生であった。
呉線天応駅を早朝6時過ぎの汽車に乗り糸崎で乗り替え尾道で下車、久保町のレンガ坂下の母の実家に辿り着くことは当初10才の少年にとってははかり知れない冒険の旅であった。 わずか一泊しただけで翌日の夕方には帰途につかねばならなかったが、年玉にポケットがふくらんだうれしい帰りの旅であった。二日経てばお正月、小・中校の数年は年末に桂馬に出掛けることが一年の総仕上げとも云うべき楽しい想い出の一コマとして今でもよみがえって来ます。



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