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100周年「わたしと桂馬」フォトメッセージ




米澤うたえ様



母の思い出

 母は平成21年に93歳で亡くなりました。元々病気などしたこともなく、100歳まで元気に生きてゆくものと思っていました。83歳のころ心臓弁膜症弁置換の手術をしましたが、無理はできないながら、自分ことは自分でできるだけでなく、特に10歳年上の父を含め家族の面倒も、我が家を取仕切るような人でした。
 また、大正生れで贅沢をしない人でもありました。新しい洋服を作ることはほぼありません。女学校卒業後東京の洋裁専門学校で学んだおかげで、特に普段着は家族の古着を作り直して着る、食事も肉類は食べず、もっぱら家族の残り物を食べるなど、自分のために何かを望むことはない人でした。
 そして、自分の役目はとにかく父を最後まで看取ることだというのが母の口癖で、父の世話を最優先して生きていました。その父があと2週間足らずで100歳という平成18年10月に亡くなりました。これからは、旅行に行ったり、食べたい物を食べたりと、自分の時間を自分のために使って欲しいと子どもたち一同は願っていました。
 しかし、父の1周忌の直後溶血性貧血と診断されました。色々な検査の結果、おそらく83歳の時の弁膜置換術で使用した弁がそろそろうまく機能しなくなってきていることが原因ではないか、ということでした。そういえば、10年はもつだろうと言われていました。それからは、月1回の循環器科受診の度に、貧血を改善するために輸血をするという生活になりました。輸血をしても健康体になる訳ではなく、食欲もなく、倦怠感も強く、横になる日々が増えてきました。
 ある日の夕食の時に時母が、「桂馬のかまぼこまだ買ってないの?」と言います。妹に頼んだらしいのです。翌日妹が買って夕食に出すと、普段何が食べたいなど言わない母が、「やっぱり桂馬のかまぼこは美味しいね」と言って食べていました。
 その2日後、輸血が済んで帰宅後急変し、「背中が痛い、痛い!力を入れて押して!」「力が足りない!」と一晩中苦しんだ末明け方、静かに眠ってくれたと思っていたら、気が付いたら母は亡くなっていました。 数えてみれば、弁置換術を受けてから10年目でした。そして、最後の一晩だけ私達家族の手を焼かせただけでした。
 母は、尋常小学校卒業後三原の女学校に入り、寄宿生活を送っていました。その頃の思い出の味が桂馬のかまぼこだったのです。
 贅沢は言わないけれど、自分に厳しく家族にも厳しい母でした、自分の質素を私たちにも押しつけるので、確執の多い母でした。しかし、最後自ら食べたいと言い、美味しいねと嬉しそうに食べた母の姿こそが、ほんとの母だったと思うのです。
 だから桂馬のかまぼこは母の思い出です。そして今では我が家ではお祝い事や仏事の引き出物に使う特別な贈答品になっています。



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