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100周年「わたしと桂馬」フォトメッセージ




小林芳美様



1920年生まれの私の母は、尾道出身だった。
母は6人兄弟姉妹で、岡山県に嫁いだが、母の妹や末弟が尾道に住んでいた。

私の父は厳格で、義妹である叔母の恋愛が許せず、母は長い間里帰りさせてもらえなかった。
初めて許されて里帰りする母について私も尾道に来たのは、小学校2年生のときだった。
細い急な坂道をくねくね登って行ったところにある家。
外でずっと待っていてくれた初めて会う小学校3年生の従姉。
親戚は、みんなで温かく私たちを迎えてくれた。
祖母が、自ら下ろし、もてなしてくれた新鮮な魚料理のおいしさには驚いた。
そして、お土産に持たされたのは桂馬の蒲鉾だった。
それから、ときどき叔父や叔母が我が家を訪問するようになり、お土産には桂馬の蒲鉾を持ってきてくれた。
私の大好物は柿天で、柿のヘタがついているのが嬉しかった。

私が高校生の頃、父が病気で亡くなり、1年後に母も病気で亡くなってしまった。
両親を失った私に一番力になってくれたのは、父に冷遇された叔母だった。

私に好きな人ができて結婚するとき、叔母はウエディングドレスを手作りしてくれた。そして列席者へのお土産は、叔母も大好きな桂馬の蒲鉾を準備してくれた。
また夫の実家のご近所の挨拶回りには、尾道から桂馬の蒲鉾を持って叔父が来てくれ、一軒一軒配ってくれた。

祖母が亡くなり、叔父が亡くなり、優しかった叔母も一年前に亡くなってしまった。
折に触れて送ってくれていた桂馬の蒲鉾も、もう食べられなくなった。

尾道に行く機会もなくなったが、インターネットで取り寄せることができることがわかり、今は、我が家の大切な方へのお歳暮に桂馬の蒲鉾を送っている。
でも、いつかまた尾道を訪れたい、あの坂道を登ってみたい、そして今度は自分のために柿天を買い求めたいと思っている。




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